こんにちはJunichiです。
わたしたちは日々の生活で不運や不幸に会いストレスを感じることがあります
約2000年前の人々も同じようにストレスなどの問題を抱えていました
「どうしたらより良く生きられるのか」
その問題に対して古代ヘレニズム時代の賢人エピクテトスはストア主義的な考え方で対処するにはどうしたらよいかを説いています
それは「欲求を取り除くこと」
欲求とは何かを強くほしいと望んだり、不足したものを充足させようとする気持ちです
現在では様々なストレスの原因があります
主に欲求と忌避(嫌なこと)からのストレスはSNSやインターネットが流行りだしてからは物凄く増えていると感じます
そんな現代人にはストア主義的な考えはつまらない古臭い考えかもしれない
しかし2000年も前の考えが今も文章に残り伝えられていることは現代のわたしたちには全く役に立たないということはないです
むしろ大いに役に立ちます
そのなかの欲求と忌避についてを紹介します
エピクテトス「要録」2章の欲求と忌避について
次のことを心に留めておくこと
- 欲求が約束するのは、欲求しているものを得ることである
- 忌避が約束するのは忌避しているものに遭遇しないようにすることである
- 欲求するものを得そこなう人は不運である
- 忌避してしまうことに遭遇してしまう人は不幸である
- 自分の力が及ぶもので自然に反するものだけを忌避するならば忌避するものに遭遇することはない
- 自分の力が及ばないものを忌避しようとすれば不幸になる
1,欲求が約束するのは、欲求しているものを得ることである
これはそのままだが自分が何かを欲するものがあればそれを手に入れようと行動すること
欲求とは何かを強くほしいと望んだり、不足したものを充足させようとする気持ちである
テレビのCMで食べ物が出てきて「あ~これ食べたい」とか思うのが欲求
「~がしたい」という気持ちが出てきたらそれは欲求が出てきていると自分で認識することが大事です
2,忌避が約束するのは忌避しているものに遭遇しないようにすることである
忌避というのは、嫌なことをさけること
回避や敬遠が類義語としてある
嫌なことを避けていれば嫌なことには遇わないという行動をとる
人は無意識にも嫌なことを避けていることがある
気が向かない仕事や苦手な人を避けたりする
ネガティブな面があるが自分が忌避していると認識することが大事だ
3,欲求するものを得そこなう人は不運である
欲しい物が手に入らなかったり、うまく行かなかった時に自分は不運であると思うがそれは一時の感情である
永続的に不運な状態になるわけではなく不幸な状態でもない
例えばバイクの運転免許を欲するが試験に合格できなかったとき、不運であったといえる
不運であればまたチャレンジスルことも可能だ
4,忌避してしまうことに遭遇してしまう人は不幸である
自分が嫌っていることを経験してしまうのは不幸である
例えば交通事故などに遭遇してしまうことは不幸である
交通事故を欲求することはない
だから不運とはいわない
5,自分の力が及ぶもので自然に反するものだけを忌避するならば忌避するものに遭遇することはない
自分の力が及ぶものとは「判断、衝動、欲望、忌避」などの自分の働きによるものである
そのなかで自然に反した間違った行動をしなければ不幸になることはない
間違った判断をしてしまうことで不幸になってしまう
6,自分の力が及ばないものを忌避しようとすれば不幸になる
自分の力が及ばないものとは「肉体、財産、評判、官職」などである
貧弱で隷属的で妨げられるものであり、本来は自分のものではない
病気や死や貧困を忌避すれば不幸になってしまう
ストア主義的ストレスを抱えない考え方
欲求は出来る限り取り除くこと
自分の欲求を認識すること
たとえば、今なにかが欲しいと思ったら
なぜ、それが欲しいのか?
それは本当に必要なのか?
今すぐ手に入れなくてはならないのか?
すぐに必要でないものならば、欲求は自分の中から取り除いてみる
対人関係のストレスも相手が自分にとって良い反応を欲求してしまうことで生じる
欲求をなくしてしまえばストレスに思うことはない
つまり相手の反応を気にしないことで自分の欲求を取り除く
そして自分がコントロールできないこと
自分の力が及ばない「肉体、財産、評判、官職」などは欲求しないこと
これらができたならばストレスに悩むことはないだろう
さすがストア主義!ストイック過ぎて難しいけど言ってることはシンプルなんです。
これから他にも有意義なストア主義的な考えを記事にしていきます。